古本屋の殴り書き

書評と雑文

会社は“箱”でしかない/『ぜんぶ、すてれば』中野善壽

『「捨てる!」技術』 辰巳渚

 ・今日がすべて
 ・会社は“箱”でしかない

『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』佐々木典士

ビジネス

 自分はなんのために働くのか。
 答えは一つ。自分のため。「会社のため」じゃない。
「家族のため」というのも、ちょっとあやしい。
 自分が好きで、楽しいから、目の前の仕事をやっている。
 会社というのは、人間が仕事を楽しくするための手段であり、ただの“箱”でしかない。
 会社は視線に最初からあったものではなく、
 人間によってつくられたシステムなのだから、
 人間が会社に使われるようでは、逆転現象もいいところ。
 だから、「会社のため」と身を犠牲にして働くのは、ちょっと変だと僕は思う。
 愛社精神を強いるのもおかしい。
 仕事に対してドライであれ、と言っているわけではなくて、
「働く主(あるじ)は、あくまで自分である」と握っておくべきだということ。
 仕事に没頭したい時期があれば、どれだけ遅くまで残って働いてもいいと僕は思う。
 僕も若い頃は徹夜で会社に残った時もあったけれど、
「どうしても今日中にやり遂げたい」「自分がやりたいからやっている」
 という感覚があったから、まったく苦痛ではありませんでした。
 なぜなら、がんばっていたのではなく、夢中だかったからです。
 人が中心で、会社が道具。この関係性を間違えないようにしたいですね。

【『ぜんぶ、すてれば』中野善壽〈なかの・よしひさ〉(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2020年)】

 読んだ瞬間に思った。「教団も“箱”でしかない」と。あるいは政党や所属組織など。

 小室直樹が『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』で訴えた構造的アノミーが生まれる原因は、日本型組織が機能よりもコミュニティ性を重んじるためだろう。雇用の流動化を妨げているのも同じ理由による。

 仕事が人生の大半を占める事実を思えば、仕事によって人生の充実が決まると言ってよい。

 仕事とプライベートは切り離せるものではない。それどころか日常の発想や思考が職務に束縛されてしまう。しかも会社の外側ではなく内側に向かいがちだ(『スーパーサラリーマンは社外をめざす』西山昭彦)。思考の翼はもぎ取られ、地べたをグルグル回るだけに終わる。

 それぞれの仕事には必ず価値がある。当たり前だ。労働がGDPを支えているのだから。だから学ぶべきことは必ずあるのだが、学び続けることが可能な職場は案外少ない。自分の興味や関心が変わることも多い。

 スキル(技能)がステップアップをするための武器になっているとすれば、その人は会社に隷属する人生を回避することができない。

 仕事は対社会という観点から捉えることが望ましい。自分は社会に対して何を働きかけたいのか? そんな視点で考えていけば、起業する道も自ずと開ける。

「好きなことを仕事にできるわけがない」と考えている若者も多いことだろう。だが、やろうと思えばできる。やはり、気持ちの問題だ。「無理だ」と思っていれば一歩も進むことができない。自ら動けば必ず変化が起こる。