古本屋の殴り書き

書評と雑文

プロフェッショナルの作法と流儀/『仕事の話 日本のスペシャリスト32人が語る「やり直し、繰り返し」』木村俊介

 ・プロフェッショナルの作法と流儀
 ・セイコーの職人魂が結晶したクレドール・ノード・スプリングドライブ・ソヌリ

『森浩一対談集 古代技術の復権 技術から見た古代人の生活と知恵』森浩一
『手業(てわざ)に学べ 天の巻』塩野米松
・『鍛冶屋の教え 横山祐弘職人ばなし』かくまつとむ
『日本鍛冶紀行 鉄の匠を訪ね歩く』文:かくまつとむ、写真:大𣘺弘

必読書リスト その一

 日産の水野和敏に関する書籍を読み漁っていた。水野のインタビューは冒頭にある。もちろん面白い。ところがである。その面白さが他の31名まで一貫しているのだ。いやあ吃驚(びっくり)した。これほどの好著を読み逃していたとは私の眼も大したことがない。

 バラエティに富んだプロフェッショナルの顔ぶれが凄い。自動車開発者、陶芸家、心臓外科医、グラフィックデザイナー、脚本家、ハイパーレスキュー隊員、リチウム電池開発者、化学製品開発者、脳研究者、渋滞学者、時計職人、クリエイティブディレクター、美術監督、ソフトウェアエンジニア、工業デザイナー、精密機器製造者、写真家、運動具店長、鉄道ダイヤ作成者、建築家、夜光塗料開発メーカー、小説家、漫画家、アニメーション美術監督、ダンサー、通訳研究者、看護師、美容ジャーナリスト、作家・演出家・俳優、料理人、造船技術者(漫画家は二人)の総勢32名である。

 唯一の瑕疵(かし)は氏名にルビを振っていないことだ。酷い手抜きだと思うぞ。小野智木〈おの・ともき〉の読みなどは検索して辛うじて見つけることができた。

 不思議な構成で木村は完全に姿を消している。読み手からすればモノローグ(独白)なのだが、たった10ページ前後に圧縮された情報量を思えば、ちゃあんと木村が仕事をしているのである。

 四川での救助活動は「たらいまわし」にされてしまって生存者も確認できなかったという報道もありました。ただ、ヘンに思われるかもしれませんが、現場の感覚を正直に言うなら、救助活動の現場には「失敗」というものはないんですね。
 そもそも、救助というのは限られた状況と限られた手段の中で最善をつくすものです。しかも、現場は役割が分担されていますから、生死の確認というのは、私たちにとっては「医師にやってもらうもの」です。
 私たちのできることは、腕や脚がなくなっていても、生死が定かではなくても「救出」して、医療につなげること。それが私たちにとっての「救助」や「救出」という言葉の意味です。
 もちろん、事後の検討というのはきちんとやっております。大量の写真や文書にって現場の状況は記録しています。ただ、たとえば単純な追突事故ひとつにしても「ほんとうの原因」であるとか、「何が成功なのか」であるとかについては、パッと決められるものではない。
 後遺症はあるけれど命があれば成功なのか。数日後に亡くなられたら失敗なのか。これは、なかなかひとことで言いきることはできないんですよ。四川もそうでしたが、現場にはものすごくたくさんの要素が絡んでいるので、単純に成否を決めることはできない。
 他国との比較も同じようなことが言えます。現場では、自分たちの仕事を「最高の水準に達している」と捉え、またそうなるように出動することだけが、私たちにとってできることなんです。
 たとえば、救急という点に関してはよく話題になっていますが、アメリカのように救急隊員の行う医療の範囲を拡大すれば、救命率は高くなるだろうと予想できます。けれども、そのためには制度や医療資格を持つ人員の配置など、組織を大幅に変えなければならない。そこまで大幅に変えてよいのかどうかまでは、いちがいには言えない。だから、救助活動においては「失敗」というものがなく、われわれには成功か失敗かを問うクセというものがないんですね。(小野智木〈おの・ともき〉 ハイパーレスキュー


【『仕事の話 日本のスペシャリスト32人が語る「やり直し、繰り返し」』木村俊介〈きむら・しゅんすけ〉(文藝春秋、2011年)以下同】

 小野の言葉は静かである。ただし、冒頭の報道批判は痛烈だ。冷暖房の効いた環境で好き勝手にキーボードを叩くのがジャーナリストの仕事といってよい。所詮、野次馬である。彼らは何の責任も取らない。ただキーを叩くように他人を叩くのが仕事なのだ。

「救助活動の現場には『失敗』というものはない」――これがプロフェッショナルの作法と流儀である。不思議なくらい全員に共通する態度である。

 東日本大震災の折、東京ハイパーレスキュー隊福島第1原発3号機の放水にも出動した。帰還した隊員を石原慎太郎都知事は男泣きしながら感謝を述べた。

 その頃は生活も苦しかったですね。と言うのも、私はいつか研究者として独立するのだから、と親に仕送りは要らないと言っていたんです。それでもう極貧になっちゃった。割のいい家庭教師のアルバイトが見つかるまでは、風呂は週に1回、素麺1束で7日間は生活する、月末の3日間は仕方がないから醤油を薄めて飲もう、なんて毎日でしたので。銭湯は「高い」から、普段は洗濯機の中に入っていました。(西成活裕〈にしなり・かつひろ〉 渋滞学者)

 思わず笑ってしまった。西成は私よりも3歳ほど若い。私も貧乏は経験したが、これほど凄まじいものではなかった。

 今、再読しているのだが良書は何度読んでも面白い。なぜなら読むたびに新しい発見があるからだ。