・『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
・『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』吉田たかよし
・生命体に指揮者はいない
・視覚情報は“解釈”される
・2枚の騙し絵
・非運動性活動熱産生(NEAT)を増やす
・ホルモンの多様な機能
・免疫系の役割
・アルツハイマー病の原因は不明
ヒトをつくるには、合計で7000杼(じょ)個(略、7オクティリオン〔1027〕)の原子が必要になる。なぜその7000杼個の原子たちが、あなたでありたいという切実な願望をいだくのかは誰にもわからない。原子は意識のない粒子にすぎず、それ自体はなんの考えも意思も持たない。それでもどういうわけか、この世に生きているあいだ、原子たちはあなたの元気を保ち、あなたをあなたでいさせて、姿形を整え、人生と呼ばれるたぐいまれな、この上なく快適な状態を楽しむのに必要な、無数のありとあらゆるシステムや構造をつくり、維持し続けるだろう。
それは、あなたが思うよりずっとたいへんな仕事だ。中身を広げると、ヒトは実はとても巨大だ。肺を平らに伸ばせばテニスコート1面を覆えるし、肺の中の気道はロンドンからモスクワにまで届く。すべての血管をつなげば、その長さは地球2周半にもなる。何より注目すべき部分は、DNA(デオキシリボ核酸)だ。ほぼすべての細胞に1メートルのDNAが詰め込まれているうえに、あまりにもたくさんの細胞があるので、もし体内のあらゆるDNAで1本の細いひもをつくったとすれば、それは150億キロメートル、冥王星のずっと先まで達するだろう。考えてみてほしい。自分の中に、太陽系を超えていくほどのものがある。あなたはまさに文字どおりの意味で、宇宙規模の存在なのだ。
しかし、人体の原子たちはただの構成要素であって、それ自体は生きていない。生命が具体的に何をもって始まるのかを判断するのはなかなかむずかしい。生命の基本単位は細胞だ。それについては誰もが同意している。細胞は忙しい物質たちでいっぱいだ――リボゾーム、タンパク質、DNA、RNA、ミトコンドリア、その他たくさんの微細で謎めいた物質――が、どれもそれ自体は“生きている”とはいえない。細胞そのものは、ただの区画だ。セル、つまり一種の小部屋としてその物質たちを収め、どの部屋もそれ自体では生きていない。しかしどういうわけか、こういう物質すべてをひとつに集めると、生命が生まれる。それは、科学では説明のつかない部分だ。なんとなく、いつまでも謎のままであってほしいような気もする。
おそらく最も注目すべき点は、指揮者がいないことだ。細胞の各成分は他の成分からの信号に反応し、すべてが遊園地のゴーカートのようにぶつかったり押し合ったりしているが、それでもなぜかあらゆる無作為な動きが、細胞内だけでなく全身で円滑な協調行動になる。細胞は、ヒトの内なる宇宙のさまざまな分にある他の細胞と連絡を取り合っている。
細胞の中心となるのが核だ。そこには細胞のDNAがある。先ほど触れたように、1メートルの長さがあり、極小と呼ぶにふさわしい空間に詰め込まれている。そんなに長いDNAが細胞核の中に収まるのは、みごとなほど薄いからだ。最も細い人毛と同じ幅にするには、DNAを200億本並べる必要がある。体のあらゆる細胞(厳密に言えば、核を持つあらゆる細胞)に、DNAがふた組ずつ入っている。だから、冥王星の先まで伸ばせるだけの長さがあるのだ。
DNAは、ただひとつの目的のために存在する。つまり、さらに多くのDNAをつくること。ヒトのDNAは、平たく言えば、ヒトをつくるための“マニュアル”だ。生物の授業はともかく、きっと数え切れないほどのテレビ番組で見て憶えていると思うが、DNA分子は2本のひもから成り、横木でつながれて、二重らせんと呼ばれるあの有名なねじれたはしごの形をしている。ひと組みのDNAは染色体という複数の部位に分けられ、その中にさらに短い遺伝子と呼ばれる個々の単位がある。ひと組のDNAの遺伝情報をすべて合わせたものがゲノムだ。
DNAは、きわめて安定している。何万年も存続できるほどだ。今日ではそのおかげで、はるか昔の人類のことが解き明かされるようになった。おそらく、あなたが今所有しているものは何ひとつ――手紙も、宝石も、貴重な先祖伝来の家宝も――今から1000年後には存在していないだろうが、あなたのDNAは、誰かがわざわざ探す気になりさえすれば、まだそのあたりにあって、回収できるだろう。DNAは、並外れた精確さで情報を伝達する。10億文字につき約1文字しか、コピーを間違えない。それでも、細胞分裂1回につき約三つのエラー、つまり「突然変異」が起こることになる。突然変異のほとんどは体にとって無視できるものだが、ほんのときたま、持続的な影響を残す。それが「進化」だ。
ゲノムのあらゆる成分は、ただひとつの目的を持っている。あなたの存在を保ち続けることだ。【『人体大全 なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか』ビル・ブライソン:桐谷知未〈きりや・ともみ〉訳(新潮社、2021年/新潮文庫、2024年)】
読み始めたばかりだが必読書に入れた。翻訳も読みやすい。このレベルのポピュラー・サイエンスになると日本人で伍する人はいない。私が若かったら迷うことなく書写していただろう。科学知識の基本を押さえたいのであれば、『人類が知っていることすべての短い歴史』をお薦めしよう。私はニ度読んでいるが、三読、四読に堪(た)える名著だ。香り高い文章が芳醇な味わいをもたらすが決して重くない。むしろ軽やかな印象を残す。そのバランスが絶妙なのだ。ザ・軽妙洒脱。
遺伝子については、シッダールタ・ムカジー著『遺伝子 親密なる人類史』という傑作がある。だが、これほど簡明にして核心を突いた文章は「稀有」(けう)の高みにまで達している。昂奮のあまり手にしていた本を落としそうになったほどだ。
生命体に指揮者はいない――驚愕の指摘である。ともすると我々は「脳の指令」に体が従うといったピラミッド構造を想像してしまうが実は違うのだ。「指揮者はいない」で思い当たるのは「森」だ。森は主に樹木と菌類と動植物、そして昆虫で形成されている。そこでは太陽光と水の奪い合いが行われていると考えるのは早計だ。生存競争よりも一定のバランスや秩序で成り立っているのだ。極端に強い存在が現れれば森は形成されない。
生命体に指揮者はいないとすれば、それはまさしく諸法無我であろう。「私」という錯覚こそが妄想を成り立たしめている。もしも、私が完全に世界の一部と化せば、ただ世界を観測し、世界を感受する計測器になり得るはずだ。今、ベランダから見えるのはベニカナメモチの赤く色づいた枝先が静かに揺れる午後3時だ。この風景を見ているのは私しかいない。反対側の窓からも見ることができるが、それは裏側の世界だ。意識とは分散した神の目なのかもしれない。
DNAはタンパク質形成の設計図である。遺伝情報は縦に時代を貫くが、情報化社会になってからは社会を横に貫く文化の力が強い。遺伝子が子に伝わるのは両親の1/2ずつである。孫には1/4、ひ孫には1/8、10代目では1/512となる。もはや別物といってよかろう。つまり、DNAの目的は他のDNAと撹拌(かくはん)するところにあると考えざるを得ない。
一方、強固な宗教は数千年の歴史に対応している。見ようによってはDNAよりも凄い。「神の子」や「仏性」は集合的無意識から生まれたDNAなのかもしれない。
DNAや文化・宗教を思えば、人類がある方向を志向していることが理解できる。分断された人々の意識がやがてまとまる日が訪れるはずだ。その共通意識こそ、「神」と呼ばれるのに相応(ふさわ)しい存在だ。