・『借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ』小池浩
・『借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんがあえて教えなかったとんでもないこの世のカラクリ』小池浩
・『科学的 潜在意識の書きかえ方』小森圭太
・『科学的 本当の望みを叶える「言葉」の使い方』小森圭太
・「願わなければ、思いどおり」
・『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
あるとき、老師は言いました。
「願わなければ、思いどおりなんだよ」
「エッ!?」
一瞬、僕は自分の耳を疑いました。思いが実現するという言葉を信じて、目標を握りしめて頑張ってきた僕には、とても受け入れがたい言葉でした。夢や目標がないまま、どうして、僕らは頑張ることができるのでしょうか。夢や目標の実現を願うからこそ、落ち込みそうなときも、つらく苦しいときも、前向きに生きることができるのではないでしょうか。
夢や目標がない人生なんて、僕には考えられません。それでは、生まれきた意味や価値もないじゃないですか! 僕は、今までの努力を否定されたような気がして、なんだか腹立たしくなってきました。
その気持ちを察したのか、老師は続けてこう言いました。
「ありの君が、夢や目標をもって努力していたときは、どうだった? その夢や目標にふさわしい自分になろうと、『このままじゃいけない』『もっともっと頑張らなければ……』そう自分に言い聞かせながら、必死に頑張ってきたことだろう。
ところが、そうやって頑張れば頑張るほど、ありの君のココロはなぜかギスギスし、カラカラに乾いていくようではなかったかな?」
「言われてみれば……。たしかに、そのときの僕はイライラ気味で、いつもピリピリしていたと思います。
でも、ちょっと待ってください。夢の実現に必死なんですから、のんびりしているヒマはないでしょう。のんびりなんかしてたら、夢が実現する前に、僕のお葬式が実現してしまいますよ(笑)」
「はっはっはっ。しかし、よく考えてごらん。もし、思いが実現するというのなら、そんな潤いを失ったココロが実現してしまうのではないかな?」
「ウッ……(汗)」
「夢や目標は未来にあるものだよ。
ありの君の視線はいつも未来になって、かんじんのイマに無関心になっていたんだ。
イマ、ココにあることの幸せや豊かさに気づかなくなっていたのだよ。
ワシらはつねにイマ、ココにしか生きられない。
幸せや豊かさが生まれるのもイマ、ココなんだ」
言葉を失った僕は、ただただ老師の話を聞き入るばかりでした。【『願わなければ叶う5つの真実』有野真麻〈ありの・まあさ〉(コスモトゥーワン、2008年)】
著者の名前から女性だと思い込んでいたのだが男性のようだ。言葉遣いや改行の多さからすると、まだ若い人物なのだろう。本文中では「ありの君」となっているので、小説的な要素を示唆しているのかもしれない。
間もなく読み終えるのだが必読書とした。太極拳の老師とのやり取りが収められているのだが、説かれているのは老子(道教)の教えである。
「ありの君」は自然食のレストランを開業し、引き寄せの法則や自己啓発の教えを忠実に守りながら好スタートを切った。だが、やがて上手くいかなくなり、最終的には挫折の憂き目にあった。
二十数年前頃から、道教の「今ここ」という視点が世界規模で見直されるようになった。何がきっかけだったのかは知らない。唐突に「今ここ」教が現れたような印象を受けたのをよく覚えている。
元々、ブッダの教えは現在性を説くものであったが、願いを叶える未来や死後の平安を約束する現世利益&葬式仏教に成り果てた。その後、仏教系では神仏習合よろしく「今ここ」を慌てて採り入れた。
物理学では時間の研究がかなり進んでおり、対称性があるにも関わらず、エントロピー増大則という方向性(時間の矢)が存在する。最新の研究では「時間は存在しないもの」と考えられている(カルロ・ロヴェッリ)。もちろん、会社や学校に遅刻した時の言い訳にするのはチト難しい。
多くの人々がが幸せを望んでいる。なぜなら、今が不幸だからだ。行きがかり上、そう決めつけておこう。不幸とまでは言えないにせよ、満たされない何かがあるのは確かだろう。それが、カネ・地位・名誉でなければ、まだ幸せな部類と考えてよい。
加齢と共に嗜好(しこう)が変わる。若い頃から順番に、異性➡食➡石と一般的には言われる。最後の石は宝石だ。ま、高価な物品と考えてよかろう。私にとっては最新の大型バイクだ。四十を過ぎた頃から衣服への興味は完全に失せた。スーツ、ネクタイはおろか、カジュアルな服ですらほぼ新調してない。買ってきたのは、Tシャツとジャージ類、およびアウターくらいだ。本と音楽に関する情熱だけは変わらない。むしろ病状は重くなっていると言ってよい。
「願わなければ、思いどおり」という言葉は中々出てくるものではない。自由を「我がまま」と言う。仏教で説く自在も満月のように欠けるところがない生命状態を意味する。
人は自分の意志と関係なく生まれ、そして自分の意志に逆らうように死んでゆく。人生の最初と最後が思い通りにならないのだから、途中の自由など高(たか)が知れている。カネがあるからと胸をそびやかし、カネがないからと俯(うつむ)くことが可笑(おか)しく思えてくる。
何かに熱中している時、過去や未来を思うことはない。バイクの風が最も心地よいのは目的地がない時だ。ただ、走りの中に身を置くとバイクそのものが風と化す。前方から風が吹いているのではない。バイクが空気を裂きながら前進しているのだ。
願わない。望まない。祈らない。そうすれば、眼の前を流れる生の川を見出すことだろう。