古本屋の殴り書き

書評と雑文

『漢和大字典』に藤堂明保が「貞(き)く」を採用/『野口体操 感覚こそ力』羽鳥操

『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝

 ・『漢和大字典』に藤堂明保が「貞(き)く」を採用

『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
『野口体操・おもさに貞(き)く』野口三千三
『野口体操・ことばに貞(き)く 野口三千三語録』羽鳥操
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『身体感覚をひらく 野口体操に学ぶ』羽鳥操、松尾哲矢
『アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司(DVDブック)』野口三千三、養老孟司、羽鳥操
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操
『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
『生体の歪みを正す 橋本敬三・論想集』橋本敬三

身体革命
必読書リスト その二

 私が秘蔵っ子として大事にしてきた羽鳥操の初めての本ということで、どんな内容になるのか、楽しみに待っていました。優しくて読みやすく、味わい深く書かれた原稿を読んで、描かれている自分の姿や野口体操の在り様を、鏡に映して見るような驚きを受けたのが正直な感想でした。(「序」野口三千三

【『野口体操 感覚こそ力』羽鳥操〈はとり・みさお〉(『野口体操・感覚こそ力柏樹社、1996年/春秋社、2002年)以下同】

 かなり考えたのだが本書を一番最初に読むのがいいと判断した。授業の様子が生き生きと描かれており、野口体操の全貌を理解しやすいためだ。養老孟司とのやり取りも実に興味深い内容で、DVDを入手したいと考えている。

 尚、漢字に造詣の深い野口なので、「優しい」は意図的なのだろう(普通は「易しい」)。

貞について」は既に書いた。

 ちなみに、亡くなった藤堂明保氏が、『漢和大字典』(学研)を編纂の折に、野口先生の意見をとって『きく』という訓(くん)を入れた文字だ。

「実は、僕は若い頃から、自分の独創には誇りをもって生きてきたんです。
 ところが漢字の研究をするうちに、『貞』の文字に出会ったんです。僕の生き方・ものの観方・思考・行動の仕方が、根底から突き崩されたんです。そこで新しく得たのは、『自然の原理即ち神に貞く』という姿勢です。
 自分が、やや肩をいからせて、何かものすごくいいことに気づき、人を驚かすような発想をして見せるぞ、という姿勢とはまったく百八十度の転換が起こりました。急に、楽になりました。頑張らなくても発想が出てくるんです」
 無生物はもとより、生命を遡り、和語の語源・漢字の字源に遡る。そのことから得られる発想によって、野口体操の中身は、より豊かなものに育ってきている。
「和語には、一つ一つの音に意味があります。音は動きです。からだの働きです。こころの働きです。今、そのことについて、これ以上深く突っ込むことはしませんが、次のことだけは言っておきましょう。つまり『音の言葉』としての一つの裏付け、日本語の場合は漢字ですが、それは文字言語によってなされるという点です。
 僕が、文字や言葉に深い関心を持つのは、人間にとって『言葉とは何か』を探りたいからなんです。そのことは、とりもなおさず、『自然とは何か』『人間とは何か』『自分とは何か』『からだとは何か』を考える、貴重な手掛かりです。
 漢字は、造字の過程での思考の軌跡が読み取れる面白さがあります。和語の音のイメージを豊かに・具体的にふくらませてくれます。
 僕は、からだのことや動きについて、言葉にならないところに命があると言い続けた時期が長いんです。しかし、本当は言葉にすることによってしか、言葉にならないことは浮かんでこないんです」
 なかなか微妙で分かりにくい話に、皆の表情が真剣そのものになってくる。
「すこし面倒な話ですが続けましょう。からだとことば、そのもの・ことの本質に潜り込み、その本質に貞くことによって、僕のからだや動きの世界をより深めていきたいんです。『貞く』という僕の姿勢は、今、自分がこのこと・ものに対してこのように感じ・考え・行動していますが、これでいいんでしょうか、と、自然の神(原理)にお伺いをたてることなんです」

「言(こと)の葉」を「事(こと)の葉」=体操で読み解いたのが野口三千三〈のぐち・みちぞう〉であった。その恐るべき執念が漢字学者をも凌駕したといってよい。野口は左脳の論理ではなく、右脳の直観と小脳の運動神経で甲骨文字にアプローチしている感がある。

 そして体操は「道」の領域にまで高められた。

「僕は、いつも使っている身近な言葉を調べています。いくら調べても切りがありません。他の人には、せめて一生使う自分の名前くらいについては、語源・字源に遡って調べるとおもしろいですよ、とすすめています。その上で、自分でも言葉の源を考える作業もするともっといいんです。言葉が自分のからだになります。言葉への愛情が変わります。言葉を自分の中で、産み育てることは、世界を新しく捉え直すことでもあります。自分の実感で確かめ直すことでもあり、感覚をより深め、拓くことなんです。
 では、板書を読んでみましょう」

※名とは何か。
命名とは、神の代役として行う行為。
※単なる偶然なのか? ◎貞子・操。茂次。◎高重・キク(菊・貞)。三千三。

「僕は、子供が生まれるとすぐ、ありったけの辞書をかたっぱしから調べ、そのつど、真剣になって名づけたんです。自分としては全身全霊を傾け、3人の息子にいい名前をつけたと自信を持っているんですがね。そういった気持ちは、誰にでも共通の親心ですよね。いずれにしても親として子供の名前をつけることは、神に代わってすることですから、命名とは、『これで宜しいでしょうか。この名前で、本当にこの子が幸せに、健康に育ってくれるでしょうか』と、お伺いをたてること。つまり、真摯な愛情に根ざした命がけの『貞く』行為なんです。
 羽鳥さんのお母さんが、貞子。母娘で貞操。何と驚くことに、僕の父親が高重、母がキクだったことに、今頃になって気づいたんです。僕の両親が『おもさに貞く』、つまり野口体操で大切にしている基本・基礎原理そのものが、両親の名前だったわけですよ。単なる偶然と言ってしまうにはあまりにも……」
 その時、一点をじっと見つめ、言葉を宙に探し戸惑いの表情を見せた。授業の中で絶句する姿を見たのは、この時が初めてだった。

 野口の衝撃が少なからず伝わってくる。独創の道と運命の轍(わだち)が一つになったかのような不思議な感興を覚える。「体操は貞操」とも野口は指摘している。操(みさお)の字義についても詳しく述べられている。

 仏典の冒頭には必ず如是我聞(にょぜがもん)の四字がある。「是くの如きを我聞きき」と読む。ブッダは教えのテキスト化を認めなかった。仏典結集(けつじゅう)が行われたのはブッダが入滅した後のことである。また、日蓮系では「耳根(にこん)の得道」を説く。耳によって悟るという意味だ。眼は開閉するが、耳は常に開いている。胎内にいる時から耳は聞こえ初め、死ぬ間際まで機能するのも聴覚といわれる。

 私自身、還暦という節目を迎えたせいかどうかはわからぬが、この一年で考えを改めるに至った。若い時分から自由意志を重んじ、決定論(予定説)に唾を吐くような生き方をしてきたつもりだが、どうも違うような気がしてきた。自由意志なんぞは人間が勝手にひねり出した概念に過ぎず、自由・不自由は世界を受け止める姿勢によっても入れ替わり、草露(そうろ)のような一生を思えば、ただ起こりただ滅する一連の流れがあるだけだ――と思うようになった。

 誰かの死を悼(いた)む人もまた死ぬのだ。存在が確かなのは「今この瞬間」だけである。1000年後に私がいた痕跡はどこにも残っていないに違いない。その程度の範囲の自由を論じることに意味を感じなくなった。

 野口が説く自然は、私が考える宇宙意識に通じている。人間の意識こそが悟りの母胎である。とすると人生とは、数十年にわたる小宇宙の軌跡といってよい。泡沫のような存在ではあるが確かな宇宙なのだろう。