古本屋の殴り書き

書評と雑文

人間は苦をこじらせる/『無(最高の状態)』鈴木祐

『苦しみをなくすこと 役立つ初期仏教法話3』アルボムッレ・スマナサーラ
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
『自分を許せば、ラクになる。』草薙龍瞬
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬

 ・人間は苦をこじらせる
 ・ネガティビティバイアス
 ・苦と恐怖

『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる 非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー』中野真作
『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ
『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『すでに目覚めている』ネイサン・ギル
『今、永遠であること』フランシス・ルシール
『プレゼンス 第1巻 安らぎと幸福の技術』ルパート・スパイラ
『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

悟りとは
必読書リスト その五

 無論、このエピソード(※脊髄炎で首から下が麻痺したチンパンジーのレオが絶望しなかったこと)は動物が苦しみを持たないことを意味しません。「苦」の感情はあらゆる哺乳類に普遍的なものです。
 たとえば、インドの動物保護区では、老衰で命を落としたゾウを仲間が取り囲んで涙を流す様子がたびたび報告されています。また、仲間から離れたヤギは肉親が死んだ際に発する周波数と同じ鳴き声をあげ、エサの配分が公平でないことに気づいた猿は監視員に毛を逆立てて怒りを現し、子どもを亡くした親クジラは我が子の遺体を連れて延々と泳ぎ続けます。
 それぞれの個体がどのような感覚を抱いているのかまでは正確に判断できませんが、近年はMRIの研究が進み、ネガティブな出来事に対して、ヒトと動物は脳の同じエリアが活性化することもわかってきました。すべてを勘案すれば、哺乳類には「苦」の感情があるとみなすのが自然でしょう。
 が、ひとつだけ動物と人間には重要な違いがあります。それは、哺乳類は苦しみをこじらせない、という点です。
 人間なら数年は苦しみが続く悲劇が起きても、不安で眠れない苦境に襲われても、動物たちは少しの間だけネガティブな感情を露わすだけで、すぐ以前の状態に戻ります。人間の飼育下にある動物なら抑鬱神経症に近い行動を見せることもありますが、野生の動物が慢性的な不安や鬱に悩むケースはなく、精神疾患が観察されたこともありません。

【『無(最高の状態)』鈴木祐〈すずき・ゆう〉(クロスメディア・パブリッシング、2021年)】

 読み物としては軽いのだが諸法無我を科学的に読み解く試みが新しい。文章を入力してみると言葉の粗雑さが窺える。ま、これは出版社(編集)の責任と考えてよかろう。首から下の麻痺を「半身不随」と書いている。また、動物の場合は「遺骸」とするのが一般的だ(ペットの場合、「遺体」と表現することもある)。言葉を生業(なりわい)とする者は、孔子が言った「名を正す」ことを軽んじてはなるまい。

 上記テキストはブッダが説いた「苦」(ドゥッカ)の解説である。「人間は苦をこじらせる」との指摘が妄想をありありと浮かび上がらせる。脳は豊かな物語とありもしない妄想を生み出す装置なのだろう。ここに「思考の罠」がある。ひとたび感情の波が押し寄せると、誰もがネガティブな思考に取り憑かれる。

 鈴木はネガティビティバイアス(ポジティブな刺戟〈しげき〉よりもネガティブな刺戟に影響を受ける)が人類のデフォルト設定であり、望ましい経験が「快楽の踏み車」に過ぎないことを示す。つまり、その方が進化的に優位なのである。能天気な奴は死ぬ確率が高い(笑)。

 悩みを引きずるタイプの人がいる。女性に多い。「よくもまあ、そんなにネチネチできるもんだな」と助言したことは一度や二度ではない。聞くだけ時間の無駄だ。

 私の場合、他人の悩みを一緒に抱え込んでしまうケースが多い。自分のことだとあまり悩まない。人間関係で行き詰まった場合は、怒鳴るか、実力行使をするか、縁を切るかのどれかだ。悩むというよりは迷うことが少ない。

 やはり病気と死(家族の失踪や自殺・殺人などを含む)が一番重い。私は悟っていないので、現実を「ありありと見る」ことができない。どうしても感情移入してしまう。そして、45歳の時に知ったルワンダ大虐殺で完全に行き詰まった。1年後にクリシュナムルティと遭遇する

 あれは正(まさ)しく人生の危機であった。「中年の危機」とはよく言ったものだ。もともと短気なのだが、私は純粋な殺意と化した。悪意の力が満身に漲(みなぎ)った。

 そう。「人間は苦をこじらせる」のだ。ツチ族を殺戮したフツ族もまた苦をこじらせたのだろう。恐るべきは脳の妄想力である。

 幸不幸という幻想があるうちは駄目だ。毀誉褒貶(きよほうへん)に振り回されるなどもってのほかである。自我こそが妄想の基盤なのだ。「私」を溶かし、解体し、打破し、粉砕し、蒸発させる心掛けが必要なのだ。苦をただありのままに見つめれば、こじらせることはないだろう。