・『会議革命』齋藤孝
・『足の裏は語る』平澤彌一郎
・『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
・『呼吸入門』齋藤孝
・『BREATH 呼吸の科学』ジェームズ・ネスター
・トッド・ギトリン
・『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝
・苦節15年の労作
・真人の呼吸は踵を以てす
・『釈尊の呼吸法 大安般守意経に学ぶ』村木弘昌
・『肚 人間の重心』カールフリート・デュルクハイム
・お腹から悟る
・身体革命
・必読書リスト その五
私にとって、息・呼吸は、20代後半から30代はじめにかけての数年間を埋め尽くした研究テーマであった。二十歳前後からさまざまな身体技法、とくに東洋の身体の技にのめり込むようにして研究を続けていたプロセスで、根幹が息・呼吸にあると深く認識した。そこで、息を主題に、人間を捉え直す人間学を構想した。(中略)
この息の研究は、出版に至るまで、あまりにも多くの紆余曲折を経た。研究の意義さえ理解されぬ状況の中で、翻弄され続けた。生活のエネルギーのすべてをかけ、寝ている間さえも考え続けた研究であった。取り返しもつかないほどの莫大なエネルギーを注ぎ込んだ私にとっては、記念碑的な作品だ。
読まれる方がどう感じられるかはわからないが、この作品には私の心血を注ぎ込んだ。この研究をめぐるすべてのネガティブな出来事、感情を踏み越え、今はただ、研究開始以来15年以上を経て出版できることになったことを喜びたい。(あとがき)
読書中である。専門書というよりは本格的な論文と考えてよい。文章の圧縮度が高いので、とてもスラスラ読める本ではない。
世織書房〈せおりしょぼう〉の編集者は10年に渡って齋藤を支え続けた。大学院の恩師も齋藤を励まし続けた。
生物学者の福岡伸一が徒弟制度のまかり通るアカデミアの悲惨な実情を「死んだ鳥症候群」という言葉で表している。
助手に採用されるということはアカデミアの塔を昇るはしごに足をかけることであると同時に、ヒエラルキーに取り込まれるということでもある。アカデミアは外からは輝ける塔に見えるかもしれないが、実際は暗く隠微なたこつぼ以外のなにものでもない。講座制と呼ばれるこの構造の内部には前近代的な階層が温存され、教授以外はすべてが使用人だ。助手ー講師ー助教授と、人格を明け渡し、自らを虚しくして教授につかえ、その間、はしごを一段でも踏み外さぬことだけに汲々とする。雑巾がけ、かばん持ち。あらゆる雑役とハラスメントに耐え、耐え切った者だけがたこつぼの、一番奥に重ねられた座布団の上に座ることができる。古い大学の教授室はどこも似たような、死んだ鳥のにおいがする。
死んだ鳥症候群という言葉がある。、彼は大空を悠然と飛んでいる。功なり名遂げた大教授。優雅な翼は気流の流れを力強く打って、さらに空の高みを目指しているようだ。人々は彼を尊敬のまなざしで眺める。
死んだ鳥症候群。私たち研究者の間で昔から言い伝えられているある種の致死的な病の名称である。【『生物と無生物のあいだ』福岡伸一〈ふくおか・しんいち〉(講談社現代新書、2007年)】
学者は世間知らずである。社会で揉まれる経験もしていない。そんな人物がトントン拍子で出世の階段を上ってゆけば、幼児のような全能感を持った独裁者になることは火を見るよりも明らかだ。
最近だと仏教学者の馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉のアカハラが話題になった。「研究や仕事で相手を見返す」と口にするのは簡単だが実際には難しい。私だったら相手が再起不能になるまで実力を行使するところだ。
齋藤の研究は確かに私に届いた。昨今のユーチューバー武術家(影武流、秀徹、イス軸法)の台頭や、ネドじゅんの出現を思えば、齋藤の研究はあまりにも時代に先んじていた感を覚える。
これほどの労作かつ傑作であるにもかかわらず、ネット上には書評が見当たらない。実に惜しまれるところである。