古本屋の殴り書き

書評と雑文

真人の呼吸は踵を以てす/『息の人間学 身体関係論2』齋藤孝

『会議革命』齋藤孝
『足の裏は語る』平澤彌一郎
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
・『呼吸入門齋藤孝
『BREATH 呼吸の科学』ジェームズ・ネスター
トッド・ギトリン
『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝

 ・苦節15年の労作
 ・真人の呼吸は踵を以てす

『肚 人間の重心』カールフリート・デュルクハイム

お腹から悟る
身体革命
必読書リスト その五

荘子』の中に、「真人の息は踵を以てし、衆人の息は喉を以てす」(金谷治訳・1971・175頁)という言葉がある。息を「踵を以て」するとは、どういうことであろうか。そして、この呼吸の仕方が「真人」という人間の理想的な在り方と結び付けられるのは、どうしてであろうか。
 私たちは、日常的に、「喉で息をする」、「肩で息をする」、「胸で息をする」、「腹で息をする」という表現をすることがある。喉や肩や腹、まして踵に呼吸器官があるわけではないので、これらは、生理学的な呼吸の分節ではないと言える。
 これらの部位は、息の深さを表現しているのではないだろうか。

【『息の人間学 身体関係論2』齋藤孝〈さいとう・たかし〉(世織書房、2003年)】

「真人(しんじん)の呼吸は踵を以てす」は白隠禅師〈はくいんぜんじ〉もよく引用した言葉で、呼吸本には必ず出てくる言葉である。検索したところ、「くびす」「きびす」とのルビが散見された。私は「かかと」と読んできたのだが意味は同じだ。

「踵」といえば宮本武蔵の言葉もよく知られている。

一 足づかひの事

 足のはこびやうのこと、つまさきを少しうけて、きびすをつよく踏むべし。足づかひは、ことによりて大小・遅速はありとも、常にあゆむがごとし。

【『五輪書宮本武蔵〈みやもと・むさし〉:渡辺一郎〈わたなべ・いちろう〉校注(岩波文庫、1985年)】

 私は常歩(なみあし)本で知った。現在のスポーツ剣道は踵重心になっているのだろうか? 拇趾球で蹴っているように見えるのだが。

 また、野口晴哉〈のぐち・はるちか〉は「背骨で呼吸する」ことを教えている。

 わかりにくいことがあれば反対方向から考えるのがいいだろう。「息が浅い」のはよくわかる。例えば若い女性に見られる落ち着きのないおしゃべりなどが典型だ。金魚が口をパクパクしているような印象がある。息が浅い人が深い人生を生きることはできまい。息の浅さは、感情の浅さや思考の薄っぺらさをも表している。

 やたらとおどおどしている人や、焦りがちな人、臆病な人も一様に息が浅い。 

 息の深さは声の響きや相槌の深さに表れるような気がする。ただし、それもまだ表面的なことだ。