・『ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
・『呼吸入門』齋藤孝
・『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝
・『息の人間学 身体関係論2』齋藤孝
・『弓と禅』中西政次
・『古武術と身体 日本人の身体感覚を呼び起こす』大宮司朗
・『白隠禅師 健康法と逸話』直木公彦
・『静坐のすすめ』佐保田鶴治、佐藤幸治編著
・意識呼吸と無意識呼吸
・『大安般守意経入門 苦を滅して強運になる 正しい呼吸法で無心な判断を』西垣広幸
・『呼吸による気づきの教え パーリ原典「アーナーパーナサティ・スッタ」詳解』井上ウィマラ
・『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ
・『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト・トール
・『あなたはプラシーボ 思考を物質に変える』ジョー・ディスペンザ
・『肚 人間の重心』 カールフリート・デュルクハイム
・『左脳さん、右脳さん。 あなたにも体感できる意識変容の5ステップ』ネドじゅん
・ヴィム・ホフ呼吸法
・『火の呼吸!』小山一夫
・お腹から悟る
・身体革命
・必読書リスト その五
「止は、出息入息の如き、前意の出を覚知し、後意の出を覚せず。前意を覚するを意相観となす。便ち出入の息を察して敗を見れば、便ち相を受けて生死を畏る。便ち意を却(しりぞ)く。便ち道に随うの意相なり」
本文は難解な文章です。私たちの一日の呼吸の大半は、無意識のうちに行なわれている。そこで出息・入息に心をこめて呼吸をする。しかしこの意識呼吸は、知らぬ間に無意識呼吸に変ってしまいます。そこに正しい呼吸を持続することのむつかしさがあります。
正しい呼吸(丹田呼吸)が、いつでも何処でも自由自在にできるという人は、すばらしい。そうした段階にまで持って行くことは、決して不可能ではない。それは正しい呼吸を実行しようとする、意志と努力の問題です。
私はしばしば丹田呼吸は次のようなものであることを述べてきた。それは舟を川上に向って漕ぐに似ている。その場合水の流れを上廻る力で漕がねばなりません。さもないと、反対に川下に流されてしまいます。
本文における「止は出息入息の如き、前意の出を覚知し、後意の出を覚せず」とあるが、前意の出とは、心をこめた呼吸は当然覚知できます。しかしそれは持続がむつかしく、坐して行なう場合は、特にそれが必要です。
正しい呼吸の場合は、横隔膜およびそれに関連する呼吸筋の活発な動きが必要です。手足の筋肉を惜しみなく使うときは、それらが連動するので問題はない。問題は坐して丹田呼吸をしようとする場合です。体を動かさない姿勢では、横隔膜の動きは低下します。
坐して正しい呼吸を得んとすれば、特に横隔神経に指令を出す必要があります。それは大脳の運動野において行なわれます。それだけに意志力を用いるわけです。
横隔膜はすべての骨格筋と同様に運動神経の支配を受けているので、意志力を用いて横隔膜を強力に収縮させることができます。意志力が及ばなくなると、正しい呼吸も知らぬ間に消えて、無意識呼吸に移行する、つまり後意の出を覚せずとなります。
心をこめた呼吸の場合、これを意相観となすと申されております。ところが「出入の息を察して敗を見れば」とは、意識呼吸が続かないことを知ったならばという意味です。
次の「便ち相を受けて生死を畏る」とは、心をこめた呼吸のつもりでいたのが、無意識呼吸に変ってしまう。それでは生死の迷いから脱することは困難となる。「便ち意を却く」ということは、そうした弱い意志力を却けて行かねばならない、つまり強い意志力と努力を用いて正しい呼吸を続行することこそ道に随う意の相(すがた)であると申されているわけです。【『釈尊の呼吸法 大安般守意経に学ぶ』村木弘昌〈むらき・ひろまさ〉(柏樹社、1979年/春秋社、2001年/新装版、2020年)以下同】
「大安般守意経」の読みについては、「だいあんぱんしゅいきょう」「だいあんはんしゅきょう」の二つがあるが、どちらが正しいのかは不明である。「アーナーパーナ・サティ」としておくのがいいかもしれない(本書ではアナパーナ・サチ)。会通(えつう)を加えておくと、アーナ(呼気)パーナ(吸気)・サティ(気づき)である。
村木弘昌は医学博士で、昭和18年(1943年)に調和道協会に入り、藤田霊斎の後を継ぎ第二代会長となった人物である。必読書としたのは経文に重きを置いたためであり、村木の文章は通解程度の代物で悟性の輝きはない。が、優れた手引きになっている。答えは飽くまでも自分自身で見つけるものだ。
アーナーパーナ・サティは長呼気に意識を置き、吸気は自然に短く行う。丹田に力を込めて「ゆっくりと吐く」のがコツだ。
冒頭の「止」とは以下の通りである。
「人が意を使わず、意が人を使う。人が意を使うとは、数息・相随・止・観・還・浄にして三十七品経を念ず。これが人が意を使うとなす。人、道を行わず、貪り求めて欲に随う。これを意が人を使うとなす」
ブッダが悟りを開いた時の呼吸法を「数息(すそく)・相随(そうずい)・止(し)・観(かん)・還(げん)・浄(じょう)」の6段階に分けたものだ。止観の文字が目を引く。
やってみると意外に難しいので、私は吸気の時に上体を真っ直ぐに起こし、吐きながら上体を丸めて吐ききった時にみぞおちを凹ませるように意識している。想像以上に呼吸の道は深い。