古本屋の殴り書き

書評と雑文

自転車は坂に向かい、バイクは峠を目指す

 初めて宮ヶ瀬湖に足を運んだのは20年ほど前のこと。印象を尋ねられ、「人工の臭いがする」と答えた覚えがある。後で調べてみたところ、ダム湖であると知った。それから15年後に自転車で走り回ることとなる。

 私が自転車に乗った期間はわずか1年である。体感的には10kg程度の減量ができたと思う。実際は6kgくらいなのだが二重顎が完全に解消した。ウエストが7cm細くなると、立った状態で自分の如意棒が見えるようになった。何と言っても体の軽さが段違いであった。

 ま、結果的には自転車EDを発症して私の自転車人生は幕を下ろしたわけだが、その挑戦・格闘・疲労と、更には自然との触れ合いが、正真正銘の充実をもたらした。私は確かに光と風に遭遇したのだ。糖分補給のために自動販売機のコーラを飲んだのも数十年振りのことであった。

 55歳(当時)の脚力では往復100kmが限界だった。私の記録は山梨県上野原市でちょうど相模湖を越えたところに位置する。もう少し頑張れた気もするが、山中でハンガーノックになれば死を覚悟する羽目となる。結局、私が走るのは常に宮ヶ瀬湖周辺だった。特に半原越(はんばらごえ)を経由するのがお気に入りのコースで自宅の庭のような愛着を覚えた。

 息を切らし、汗まみれになりながら自転車で走った、あの坂この坂が現れる。250ccのバイクだとわずか30分で着く。疾走するバイクにまたがりながら、あまりの落差に相対性理論を思ったほどである。自転車の速度が歩行やランニングと比較されるのであれば、ガソリンと発動機の力は光速を予感させた。まったく恐るべきスピードだ。空を飛んでいるような錯覚に陥る。

 自転車は坂に向かい、バイクは峠を目指す。なぜなら不自由を克服するところに自由があるからだ。自転車の機能が最大限に発揮されるのは下り坂である。その反対の登坂(とうはん)に向かえば脚力を総動員しなくてはならない。バイクの最高出力は直線で発揮される。つまりバイクとは曲がりにくい乗り物なのだ。実際に排気量が大きいバイクで走ると真っ先に気づくのが曲がりにくさである。過剰な速度と200kg前後の車重をバランスするのが難しい。しかもハンドルを切っただけでは曲がらないのだ。車体を傾ける動作が必要となる。その意味から申せば、やはり原付の感覚は自転車に近い。ま、正式名称は原動機付自転車だからね。

 我がバイク歴、50日目である(笑)。1800km走った。時間を見つけては乗っている。私にとっては一種のトレーニングだ。昨日、プッシングリーンを体得してから、かなり自由に曲がれるようになった。自転車に乗っていた時もそうだが、Googleマップで常にジグザグの道を探してる。ジグザグの度合いが大きければ大きいほどよい。山梨や埼玉にはおいしそうな道がたくさんある。地図をドラッグ操作していると、いつの間にか長野県や北関東のあたりまで見てしまう。ただし、これからの時期は気温が10℃くらいになると凍結の恐れがある。

 道志ダムを北上したところに走ったことのない道を見つけた。ストリートビューで見ることができるので大丈夫だろう――と考えたのが過ちであった。

 ストリートビューカーは私も何度か見たことがある。だったら、このクルマが通れる道のわけだよな? と考えるのが普通だ。ところが山間(やまあい)の道路は季節によって条件が大きく異なるのだ。少し進むと落ち葉だらけで林道状態だった。

 次に目指したのは四日市場上野原線(山梨県道・神奈川県道35号)を西進し、道教観音像を左折したコースだ。安寺沢〈あてらさわ〉川沿いを走り、秋山川方向で四日市場上野原線に戻る予定であった。ところが気がつくと厳道峠(がんどうとうげ)を越えていて、しかもよりによって「通行止め」の看板が倒れていた左方向の道を選んでしまった。そこに年老いた男と若い女性が地べたに坐り込んでいたのだ。見た瞬間におかしな組み合わせだと感じた。祖父と孫ではあるまい。そのくせ随分と近い距離で坐っていた。仕事仲間か? などと考えている内に落ち葉の量が増大した。道の左端を見ると側溝の頭が除いていた。もはや完全な林道である(野原林道)。

 前輪ががくんと取られた。拳大の石を踏んだのだ。危うく転倒するところだった。目を凝らすと落石だらけだ。漬物石サイズがごろごろ転がっている。ギアは2速で15kmほどまでスピードを下げた。途中で煙草を吸った。見渡す限り山また山である。遭難の二字が頭に浮かんだ。決して大袈裟な話ではない。

 今更戻る気にもなれなかった。更に下ってゆくとガソリンタンクが残り半分になっていた。後でわかったことだが下り道で車体が傾いているせいだった。「林道は人里と人里をつないでいるはずだ」と意を決してバイクを進めた。崖から落ちないように注意しながら。

 やっと大きな道に出た。道志みちだった。方角を見失ったのだが左折で正解だった。道志みちのつづら折りがこの上なく走りやすかった。

 私は意図的に走っている最中はスマホの地図を参照しないよう心掛けている。方向感覚を鍛えているのだ。ナビ機能を使えば、いつまで経っても道路を覚えられない。今は頭の中の地図を作ることに余念がない。

 いくら初心者とはいえ私がアッキーよりも運転が巧いのは確かだ。