・『すでに目覚めている』ネイサン・ギル
・『今、永遠であること』フランシス・ルシール
・『プレゼンス 第1巻 安らぎと幸福の技術』ルパート・スパイラ
・『気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう? ダイレクトパスの基本と対話』グレッグ・グッド
・『カシミールの非二元ヨーガ 聴くという技法』ビリー・ドイル
・聖なる現実
・今ここにあること
・今この瞬間の生き生きとした性質
・「いつか」という欺瞞
・目覚めの一撃
私たちは、【いつか】完全なかたちで生きられる日が来ると想像しています。【いつか】借金を完済したら、【いつか】車庫を片づけたら、【いつか】禁煙に成功したら、【いつか】スペイン語を身につけたら、【いつか】ホームレスの人たちに食事を配るボランティアをしたら、【いつか】仕事を見つけたら、【いつか】老後資金が十分に貯まったら、【いつか】引退したら、【いつか】痩せることができたら、【いつか】ジムにまた通って身体を鍛えたら、【いつか】両親に償いをしたら、【いつか】ソウルメイトに出会って結婚したら、【いつか】子どもたちがひとり立ちしたら、【いつか】つぎのリトリートに行ったら、【いつか】悟ることができたら、【そうすれば】、本来のいつの日にか自分は完全なかたちで生き、まったく問題がなくなるだろう。本当の人生がついに始まるんだ、と。あるいはもしかしたら、本当の人生は過去にあったと考えているかもしれません。離婚する【前】、失業する【前】、子どもたちが家を出る【前】、ガンにかかって車椅子生活になる【前】、でもどちらにしても、つまり過去にこだわっているとしても、未来にこだわっているとしても、【これ】、たった今のこれは絶対に違う。【これ】はどうにもならない。そう私たちは考えます。
目覚めるというのは、そうした思考の本質を見抜くこと、自分の人生というストーリーから、自分が考えて信じているすべてのことから目を覚ますこと、【今あるものの】単純さに目覚めることです。それは〈ここ・今〉でしか起こりません。【『つかめないもの』ジョーン・トリフソン:古閑博丈〈こが・ひろたけ〉訳(ナチュラルスピリット、2015年/原書、2012年)】
「いつか」という欺瞞(ぎまん)は現実逃避の先延ばしに過ぎない。
いつか、イスラエルとパレスチナが平和に共存する日が訪れることだろう。いや、来ないね。絶対に来ないよ。パレスチナが絶滅するまで戦争と殺戮(さつりく)は続くに違いない。
いつか、日本も自主憲法を持ち、普通の自衛権を保持することができるだろう。ま、無理だな。そんなことを考えているのは一部の保守層だけで、国民の多くは手取りさえ増えれば後はどうでもいいのだ。しかも、オールドメディア・学術界・法曹界・教育界を左翼が支配している限り、強硬な手段に訴えても憲法改正を許さないはずだ。
確かなのは、いつか死ぬことだけだ。だったら、今日死ぬつもりで生きるのが正しい。否、今死ぬつもりで生きれば、刻々と流れる生の川の水を心ゆくまで飲み干すことができるのだろう。
今ここに私が存在するのではない。今ここに私という視座があるのだ。多分、悟りは驚くほど近くにあるのだろう。凡夫(ぼんぷ)は近すぎて気づけないのだ。
