古本屋の殴り書き

書評と雑文

数奇な運命のドイツ人心理学者が日本で辿り着いた「肚」の文化/『肚 人間の重心』 カールフリート・デュルクハイム

『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾
『呼吸入門』齋藤孝
『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝
『息の人間学 身体関係論2』齋藤孝
『釈尊の呼吸法 大安般守意経に学ぶ』村木弘昌
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
『弓と禅』中西政次
『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀

 ・肚とは
 ・数奇な運命のドイツ人心理学者が日本で辿り着いた「肚」の文化
 ・肩で自己を離し骨盤に自己を据える呼吸法

『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『静坐のすすめ』佐保田鶴治、佐藤幸治編著
お腹から悟る

悟りとは
必読書リスト その五

 人間が自分の【意識】の中で存在からどれほど離れていようとも、彼は、彼の【本質】の根底からその生きた活動の一部を常に享受している。本質的「存在」は、生存するものすべての中で作用するごとく、人間が関与しなくても、人間の中で神的な【生】として活動している。(中略)
 修行する人が計画的に得ようとするものは、人間が工面しなくても、人間の基本的希求として作用しているのであるから、修行【しない】人の場合にも、姿を現わすことが【ありうる】。生の神的統一体は、姿を現わすために、修行する人の助力を必要としているわけではない。人生には、それまでの特殊な修行を全くしていなくても、自我の鎧をたやすく打ち破り、突然人間に啓示を与え、彼を別の次元に引き上げるような衝撃がある。人間が乳児から成人へと自然に成熟するのも、それぞれの時点で形成された形態が、新しい形態に打破され、それに取って代わられる、そのような打破の連続である。この変貌は多かれ少なかれ「危機」として体験される。それゆえ、あこがれがまだ生きていて、心の底で準備ができている場合、神的な生の開化(ママ)も静かにそっと進展しているのである。そして意識的に修行をしなくても、短期間あるいは長期間にわたって、啓蒙と祝福に満たされた現存の状態に入ることもある。人間が努力して達成できることは、神的存在に心を開き、それにふさわしい生活様式を認めるようにと、人間に対して絶えず優しく迫る神的存在の静かな働きに比べれば、実に僅かなものである。

【『肚 人間の重心』 カールフリート・デュルクハイム:下程勇吉〈したほど・ゆうきち〉監修、落合亮一〈おちあい・りょういち〉、奥野保明〈おくの・やすあき〉、石村喬〈いしむら・たかし〉訳(広池学園出版部、1990年/第2版、麗澤大学出版会、2003年/原書、1987年13版〈解題に「初版は不明だが1967年以降と推察される」とある〉)3500円】

 原書の初版は1962年である。検索しまくってやっと見つけた。原書タイトルも敢えて日本語の肚となっている(「Hara : the vital centre of man」)。

 カールフリート・デュルクハイム(1896-1988年)はドイツ人だが原書は英語か。ナチス全盛期を生き、1938~47年(昭和13~22年〈※「解題」は1937年となっているが英語版Wikipediaに基づいた〉)を日本で過ごした。第二次世界大戦(1939-45年)の真っ只中である。

 由緒ある貴族の出で、10代で第一次世界大戦に志願し勲章を二つ授与されている。20代になるとバイエルン州社会主義政権を樹立してドイツから独立した(バイエルン・レーテ共和国)。保守主義者であったデュルクハイムは反共の闘志として頭角を現す。逮捕され、死刑判決が下ったが短期間の投獄で済んだ。

 来日したのは、「日本の教育の知的基盤の探求」というタイトルの研究論文を書く特命と、ナチスプロパガンダ工作のためだった。彼が第二級の混血者であったための措置だった(心理学の大学教授でもあった)。母方の祖母がユダヤ人で、デュルクハイムはマイアー・アムシェル・ロスチャイルド(「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。 そうすれば誰が法律を作ろうと そんなことはどうでも良い」との言葉が有名)と親戚関係にあった。

 日本では研究目的で参禅と弓術に勤(いそ)しんだ。終戦後の10月30日、軽井沢に潜伏していたデュルクハイムをGHQが逮捕し投獄は16ヶ月間に及んだ。

 若い頃から老師やマイスター・エックハルトに親しみ、ナチズムを支持しながらもユダヤ人の血統に苛まれ、日本に至り禅と弓を通して「肚」の力を知った。デュルクハイムの複雑性は日本に辿り着いたことで完全に解消されたことだろう。

 ここまで書いて疲れてしまった(笑)。いやあ、疲れ果てたよ。後はリンクを参照されよ。

努力と理想の否定/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ
「作者感覚」という妄想/『無力の道 アドヴァイタと12ステップから見た真実』ウェイン・リカーマン
マインドフルネスの限界/『過去にも未来にもとらわれない生き方 スピリチュアルな目覚めが「自分」を解放する』ステファン・ボディアン
聴くという技法/『カシミールの非二元ヨーガ 聴くという技法』ビリー・ドイル
あなたの櫂を投げ捨てなさい/『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン
来ては去っていくもの/『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン編
欲望からの解脱/『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン編

「手放す」ことに努力は要らない。それでも尚、修行が必要な理由は、「苦しみに立ち向かうこと」と「心の道を正しく歩むため」である。すなわち修行とは生きる姿勢なのだ。修業ではなく、「行為を修める」意味をよくよく味わうべきだろう。