古本屋の殴り書き

書評と雑文とChatGPTと

三毒とは その三/『ブッダの思考法でアタマすっきり! 消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』くさなぎ龍瞬

『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
『仏陀の真意』企志尚峰
・『必生(ひっせい) 闘う仏教佐々井秀嶺
『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬

 ・感情と思考とを分ける
 ・善き思いで善き言葉を口にする
 ・三毒とは その一
 ・三毒とは その二
 ・三毒とは その三
 ・心=反応

『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
『これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活』草薙龍瞬

【妄想】 moha ; delusion ――これは、頭の中の考えごとすべてです。たとえば欲求がかなった状態を思い描くこと、怒りが湧いた時に、その原因となった相手や出来事をいつまでも思い出している状態。「あの人にどう思われているのだろう」と不安を感じたり、疑いを向けたりすることも、妄想に当たります。
 特に注意しておきちあのは、【記憶】や「あの人はこういう性格だ」「~はこうあるべきだ」という【思い込み】や【判断】も、妄想に当たるということです。人はこの「妄想の魔力」によって苦しめられているのです。
 ふだん思い浮かぶことを、「これは妄想である」と理解できるようになりましょう。
 心が強く反応してこのような形になることを【「結生」】(けっしょう) sankhara ; mental formation と呼びます。(なお、仏教の伝統では sankhara を「行」(ぎょう)と訳しますが、これでは意味が伝わりません)中略
 このような【心に残る、続く、外に出る反応は、みな最初の反応が結生したもの】なのです。

【『ブッダの思考法でアタマすっきり! 消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』くさなぎ龍瞬〈りゅうしゅん〉(大和出版、2012年)】

 大いに反省した。「あの人はこういう性格だ」「~はこうあるべきだ」という【思い込み】や【判断】――これが私は強い。ものすごく強いのだ。

 ちょっとした振る舞いや言動、はたまた仕草からでも透けて見えるものがある。今までは「一を見て十を知る」などと自惚(うぬぼ)れていたのだが、「妄想」と指摘されたので、直すことを決意した。

 サンカーラについては二度書いている。

日常の重力=サンカーラ(パーリ語)、サンスカーラ(サンスクリット語)/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
サンカーラ再考/『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬

 友岡雅弥の指摘は、やや社会主義的な思想が強い。草薙の説明の方がすっきりする。で、既に書いた通り私としては「業」(ごう)でいいと考えている。五蘊(ごうん)の中の「行蘊」(ぎょううん)だ。蘊には「1.つむ。たくわえる。「蘊蓄」2.おく深い。おくそこ」との意がある(漢字ペディア)。雲の音読みともつながるのでイメージしやすいと思う。

「最初の反応が結生したもの」――つまり、ビリヤードの球を撞(つ)く力と方向性で心の進路が決まってしまうのだ。するってえと、私が感じる快・不快は最初から認知バイアスと考えるべきなのだろう。昔、欽ドン!で「ああ勘違い」というコーナーがあったが、情報の入力を誤れば出力は求めた答えと懸け離れてしまう。ひょっとすると、見当違いの連想ゲームや10人後の伝言ゲームが私の脳内で行われているのかもしれない。

 結生(けっしょう)の因果を見つめて、溶解させるのが瞑想という営みである。すなわち自我とは、こんがらがった結び目だらけの糸玉みたいなものなのだ。つまり、自我という妄想から全ての妄想が起こっているわけである。