・『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
・『仏陀の真意』企志尚峰
・『必生(ひっせい) 闘う仏教』佐々井秀嶺
・『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬
・感情と思考とを分ける
・善き思いで善き言葉を口にする
・三毒とは その一
・三毒とは その二
・三毒とは その三
・心=反応
・『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
・『これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活』草薙龍瞬
私たちの心は、つねに外の刺激に反応しています。あらかじめインプットされた7種の欲求(※食欲、性欲、睡眠欲、承認欲、生存欲、怠惰欲、感楽欲)に基づいて、食べ物はないか、楽しいことはないか、評価されるにはどうすればよいか、といったことを止めどなく求め、考え続けています。
振り返ってみれば、【私たちの心は、生まれた時から一瞬も休まず、何かに反応し続けてきた】のです。眠っている間でさえ、夢を見たり、大きな音が鳴ると目が覚めたりしますね。これは、心が反応しているからできることなのです。
いわば、心にとっては反応することが仕事なのです。反応が止む時は、心が死ぬ時。それは、命そのものが停まる時なのです。
この、命続くかぎり、求めて、反応して、回り続ける心の状態を、ブッダは「燃え続ける炎」としてまく喩えています。「すべては燃えている。眼は燃え、モノは燃え、心も燃えている。心と眼とモノとが触れて生じる感覚も燃えている。貪欲と怒りと妄想の火によって燃えている。老いと病と死と、愁いや悲しみ、苦痛と愛欲ゆえの苦悩の火に燃えているのである」(Saṃyutta Nikāya)
「燃える」を〈反応〉に置き換えると、その意味が実感できるでしょう。ブッダの思考法の特色は、【心を反応としてとらえる】ところにあります。これは、心の問題を解くカギとなる理解ですので、ぜひ覚えておいて下さい。
【『ブッダの思考法でアタマすっきり! 消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』くさなぎ龍瞬〈りゅうしゅん〉(大和出版、2012年)】
心=反応なのだ。反応の主体が心であるとわかれば、反応する瞬間にわずかな隙間を作ることが可能となる。特に「怒り」は速度がはやいので、素早く「怒り」のラベルを貼る必要がある。怒りを怒りと認識することが第一歩だ。
反応する様を「見つめる」ことが瞑想に通じる。その意味から申せば、最初に「反応」というラベリングを行うべきかもしれない。
仏典では凶悪な心を酔象(すいぞう)に喩える。酔っ払った象のように抑えることが難しいという意味が込められているのだろう。「カッとなって殺す」ことがあり得るのだ。
こうしたことを踏まえると、「ありのままに見る」「ただ見る」ことの難しさが理解できよう。
波立つ前に心を静める。さざなみが立てば欲望をありのままに見つめる。大波が起これば止まる。心構えと心掛けが大切だ。
