・『漢字 生い立ちとその背景』白川静
・『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
・『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
・『子どものからだは蝕まれている。』正木健雄、野口三千三編
・『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
・『心をひらく体のレッスン フェルデンクライスの自己開発法』モーシェ・フェルデンクライス
・『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝
・『野口体操 感覚こそ力』羽鳥操
・『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
・『野口体操・おもさに貞(き)く』野口三千三
・『野口体操・ことばに貞(き)く 野口三千三語録』羽鳥操
・体操とは
・魔法の体操
・次の瞬間、新しく仕事をすることのできる筋肉は、今、休んでいる筋肉だけである
・尻歩きと会陰
・『身体感覚をひらく 野口体操に学ぶ』羽鳥操、松尾哲矢
・『アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司(DVDブック)』野口三千三、養老孟司、羽鳥操
・『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
・『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操
・『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
・『生体の歪みを正す 橋本敬三・論想集』橋本敬三
脚で立った場合の足の裏、腰掛けの場合の尻は、地球へ話しかけ、地球からの答(応え)を聞く直接責任者である。からだを支える2本の脚は、1本の脚で支えることによって、他の1本を解放し、解放された脚が新しい可能性を得て、歩く・蹴る、その他の新しい動きを獲得した。解放されて新しい仕事をする脚の中身も、支える仕事を一時の役割として受け持った支える脚の中身も、解放の原理が「多重構造」をもって細密に適用されていなければ、より高度な動きは成り立たない。このことから次の原理を導くことができる。
筋肉にかぎらず脳細胞にいたるまで、あらゆる器官・組織・細胞のすべてにおいて、解放されている部分が多ければ多いほど、そこにそれだけ新しい可能性を多くもつことができる。
次の瞬間、新しく仕事をすることのできる筋肉は、今、休んでいる筋肉だけである。今、仕事をしている筋肉は、それに応ずることができない。したがって、全部の筋肉が今、仕事をしているとすれば、次の瞬間に新しい別の仕事をすることは不可能である。次々の瞬間に新しい仕事をするためには、次々の今において、なるべく多くの筋肉が休んでいることが必要となる。休んでいるとは、「ぶら下げ」られているか、「ぶら上げ」られている状態である。したがって、外見が立っていたとしても、からだの中身が休んでいなければ、本質的には立っているとは言えない。よりよい立ち方とは(よりよい姿勢とは)、「ぶら下げ・ぶら上げの状態を、より多くもっていること」であり、ぶら下げ・ぶら上げの部分を多くするためにまっすぐの姿勢が大切なのである。そのために必要な前提として、働く部分と休む部分、働く時間と休む時間、必要なエネルギーと不必要なエネルギーというようなことが、高度に精密に細分化されなければならないし、それに対する精度・感度の高い感覚が要求されてくる。。胸がひとつの籠であったり、背中が1枚の厚板であったり、腰や足の裏がひとつの塊であったり……というようではまったく話にならない。
【『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三〈のぐち・みちぞう〉(三笠書房、1972年/改訂版、岩波同時代ライブラリー、1996年/岩波現代文庫、2003年)】
今、新しい時代の扉を開いている武術家――例えば、イス軸法の西山創、影武流の雨宮宏樹、秀徹の藤原将志など――には是非とも野口体操の研究をしてもらいたい。
「次の瞬間、新しく仕事をすることのできる筋肉は、今、休んでいる筋肉だけである」――これは野口体操の真価を一言で表わす名言であり、関連書では必ず引用されている言葉だ。
しかもこの視点は人体に限らず、社会の見方をも示唆している。「働かないアリ」や「怠け者や引きこもり」に価値があることをも理解できる。
そう考えると、バブル崩壊以降の日本人はいたずらに働き過ぎてきたように感じる。体も心も長時間の緊張には耐えることができない。必ず不調や怪我となって表面化する(『悲鳴をあげる身体』鷲田清一、『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ)。
経済的にも、精神的にも、健康面でも、ゆとりがなくなってきた。慢性化したストレスが安心やリラックスを遮(さえぎ)る。
そう感じるのであれば体操をしてみればよい。何と言っても体が資本なのだから。まずは体と対話し、コミュニケーションを図(はか)るのだ。心は見えないが体は見える。変化を確かめることが容易だ。少しだけ力が増したり、柔らかくなっただけで驚くほどの変化が現れる。