古本屋の殴り書き

書評と雑文

人体は液体である/『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三

『漢字 生い立ちとその背景』白川静
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
・『子どものからだは蝕まれている。』正木健雄、野口三千三
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『心をひらく体のレッスン フェルデンクライスの自己開発法』モーシェ・フェルデンクライス
『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝
『野口体操 感覚こそ力』羽鳥操

 ・貞について
 ・からだ=こころ、人間=自然
 ・人体は液体である

『野口体操・おもさに貞(き)く』野口三千三
『野口体操・ことばに貞(き)く 野口三千三語録』羽鳥操
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『身体感覚をひらく 野口体操に学ぶ』羽鳥操、松尾哲矢
『アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司(DVDブック)』野口三千三、養老孟司、羽鳥操
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操
『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
『生体の歪みを正す 橋本敬三・論想集』橋本敬三

身体革命
必読書リスト その二

「生きている人間のからだは、皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内蔵も浮かんでいるのだ」
 私がこう言うと、たいていの人はけげんな顔をします。というのは、人間のからだというと誰でもまず骨格というものから考えるからです。骨組みというコトバもあるように、まず骨がからだのもとになっていて、それに筋肉がつき、内蔵があって、そのいちばん外側を皮膚がおおいっている、というのがごく一般的なからだの構造に対する考え方だからです。
 しかし、このような感じ方だけで、ほんとうの生きている自分のからだが分かるでしょうか。
 まず皮膚という薄い、柔らかい、大小無数の穴のあいている一つの生きた袋がある。そして、その中に液体がいっぱい入っていて、骨、内蔵、もちろん脳やなんかも、その中に浮かんでいる――私はそれを実感として感じとることができるのです。
 私自身、このことにはっきり気がついたとき、ニュートン万有引力を発見した時には、こんなふうにびっくりしたのかなあ、とそう思うくらいびっくりしました。
 その時私は、寝ている人を起こそうとしていたんです。ちょうど足を持って、この人ずいぶん固いなあと思いながら、何となくゆすったんですね。そうしたら、自分が予想したよりもずっとゆれる。私はこんなことを意識的には期待していませんでしたから、これには驚きました。それで今度は意識してゆすってみたんです。するとまさに、ゆらゆらゆらゆら、実に柔らかく、まるで氷嚢(ひょうのう)のようにゆれ動くじゃないですか。(中略)
 からだの中の体液の存在に気がついた瞬間のあの驚きときたら、それは大変なものでした。
 死体解剖学の知識が、生きている自分のからだと、突如として一つになり、新しいからだ観が生まれ出たのです。私にとってまさに革命的な一瞬だったのです。
 それに気がついて、そういった目で生きているからだを見始めると、今まで学んできた理論がいかに間違っていたかということが、実にはっきりと見えてきて、からだ以外のすべてについての価値観の転換までも、私に迫ってきたのです。このことに気がつかなかったら、「体液主体説・非意識主体説」などの、私の体操の基本の考え方は、生まれなかったわけです。

【『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三〈のぐち・みちぞう〉(柏樹社、1977年/春秋社、2002年)】

 野口三千三の悟りといってよい。人体における水分の比率は成人男性で60%である。人間は食糧がなくても数週間は生きることができるが、水がなければ4~5日で死ぬ。その意味では海から陸に上がった動物はすべて体内に海を抱えていると考えていいだろう。

 野口体操では「ゆり(揺り)」「ふり(震り、振り)」を重視する。「人体は液体である」との発想から生まれたユニークな運動だ。このため無理に痛みを堪(こら)えて行う柔軟運動は禁じられている。飽くまでも心地よい範囲で体内の変化を見つめるのだ。

 例えば影武流合気体術の様々な種類の当て身(パンチ)は明らかに「人体を液体」と見なしている節(ふし)がある。あるいは太極拳の站樁功(たんとうこう/立禅)や気功のスワイショウなども、やや液体志向である。

 液体は流動的であり、皮膚や筋肉よりも諸行無常を観じやすい。